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入学式欠席。我が子優先支持派が多数 [社会]

現在、ネットでは埼玉県内のある高校教師の行動が熱い論戦を呼んでいます。それは、その高校教師自身が勤めている高校の入学式に欠席して、我が子の入学式を優先したことです。



報道内容


最初の報道では、50代の女性教師が長男が通う別の高校の入学式に出席するために、自身が担任を務める1年生の入学式を欠席し、新入生の保護者から困惑した意見が上がっているというものでした。

埼玉県の教育局によりますと、県内の県立高校では、ほかに男女3人の担任教諭が我が子優先して子息の入学式に出席したことが明らかになっています。

これに対して、県教育長は県立高校の校長会で、「担任がいないことに気付いた新入生や保護者から心配、不安の声が上がっている」と、この事実を報告したうえで、生徒が安心して高校生活を始められるようにとの異例の注意を行ったと報道されています。

そして、当の女性教諭ですが、事前に入学式の欠席理由を校長に説明し、また、女性教諭は、お詫びの文書を作成し、入学式当日に別の教諭がそれを配ったと言います。

我が子優先を支持します


この記事には賛否両論が巻き起こり、熱い議論がネット上では交わされていますが、この入学式に来賓として出席した県議員がこの女性高校教諭の行動を批判しています。しかし、ネットでは、この女性教諭の我が子優先の選択に関して擁護しているものが多く散見されるのもまた事実です。

個人的には、この女性教諭が我が子優先の選択をしたことを支持したいと思います。それは、教師だからと言って、家庭は全て犠牲にすることはあってはならないからです。先述の県議員は、「聖職者」という言葉を持ち正して女性教諭を批判しているようですが、教師も我が家庭を優先することは当たり前だと思います。

「公」よりも「個人」


「何をおいても仕事優先」という考えが、現在の少子高齢化を招いた元凶だと思います。家庭を顧みない考え方が支配的だった1960年代ならまだしも、21世紀の現在でも、家庭を犠牲にしてでも仕事を優先させる、という考え方は、いかにも大時代的です。古臭いのです。家庭よりも「公」の仕事が優先される社会だからこそ、少子化が進んでしまったのではないでしょうか。何をおいても「公」が優先する社会とは、個人の家庭の犠牲にしか成り立ちません。個人を犠牲にするということは、女性にとっては、出産・子育てを犠牲にしてでも「公」の仕事が優先されるということに結びつきます。これでは、女性はやってられません。もっと社会が女性に優しい社会に変わらなければ、少子化の歯止めはありません。少子化の歯止めがかからなければ、さらに、税負担が増えるだけです。そんな社会が理想とするのであれば、それはそれで一つの考え方ですので、全否定はしませんが、しかし、そんな時代遅れな考え方が今もなお、社会に蔓延っているとしたならば、女性は出産・子育てを安心化してできません。たとえ女性教諭という職業だからと言って、我が子を犠牲にして「公」に尽くさなければならない社会というのは、どこかしら薄ら寒い社会と言わざるを得ません。








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