手塚治虫の開かずの机の中身とは? [文学]
3月28日のことになりますが、漫画の神様と言われる巨匠・手塚治虫先生の書斎机を何十年ぶりかに調べてみたら、すごいものが出てきたとネットで話題となっています。
その一部が手塚治虫先生の娘でプランニングプロデューサーの手塚るみ子氏がTwitterに投稿し、話題となっています。手塚治虫先生の机の中は、「お宝の山」で、そのどれもが手塚先生の人柄を感じさせるもので、手塚先生のファンには垂涎のものに違いありません。
それは、数々の原画はもちろんのこと、大友克洋さんについてのエッセイの手書き原稿や食べかけのチョコレートなど貴重な資料だらけなのでした。
その中でも一際目を引くのは、るみ子氏曰く、「田中圭一も真っ青な卑猥なイラスト」という、エロティックなカットなのです。「さすがに公開自主規制。ギリギリ可愛いのだけ。」とTwitterで、それらのほんの一部の写真が投稿されたのですが、いくつかのカットは「獣っ娘」ということで、更に話題となっているのです。手塚治虫ファンにとって手塚先生がどれだけ自由な発想でエロティックな表現を追求してきたかは誰もが知る所です。このTwitterで流された写真のカットは、手塚作品を読んだことがある人にとっては物凄く自然なことなのです。そして、「開かずの机」から出てきたということが、何か手塚治虫先生も人の子ということの裏返しのように思えて、また、いかにも手塚先生らしい人間臭いところが垣間見えるようなのです。
今回開かずの机から出てきたものはどれも一級品の資料に違いなく、いづれの時にか、きっと公開される筈です。
しかし、死んだ後に、自分の机を開けられるのは、恥ずかしいものに違いありません。いくら亡くなっているとはいえ、生前本人が隠していたものが我が子とはいえ、机が開けられ、それがTwitterで公開されるというのは、あの世で、手塚先生は顔を赤らめているに違いありません。
それにしても、今回の開かずの机の御開帳で、よく解かることは手塚先生にしてさえ、きちんと構想を練りながら素晴らしい作品の数々を世に送り出していたことがよく解かるということです。下調べなくして傑作は生まれなまいということです。手塚先生もいろいろと悩みながら漠然としていたものを次第に具体的な形にしてゆき、そして、作品へと昇華させているという点が見逃せません。
表現である以上、その中にエロティックなものと死は不可欠のものといってよく、「生」の不思議に思い悩んだことがある人は、今回の手塚先生の下書きなどの写真を見るにつけ、納得がゆくものに違いありません。「生」を語るには、「性」と「死」から逃れることは不可能に違いありません。「生」を掘り下げれば掘り下げる程「性」と「死」は真正面から向き合わなければならないものなのです。
今回の手塚治虫先生の開かずの机の御開帳で出てきた貴重な原画の数々などは、「巨匠」と呼ばれ、今もなお、尊敬を集めている手塚治虫先生の創作の現場に立ち会えたかのような錯覚に陥るというとても感慨深いものなのでした。
開かずの机御開帳
その一部が手塚治虫先生の娘でプランニングプロデューサーの手塚るみ子氏がTwitterに投稿し、話題となっています。手塚治虫先生の机の中は、「お宝の山」で、そのどれもが手塚先生の人柄を感じさせるもので、手塚先生のファンには垂涎のものに違いありません。
それは、数々の原画はもちろんのこと、大友克洋さんについてのエッセイの手書き原稿や食べかけのチョコレートなど貴重な資料だらけなのでした。
その中でも一際目を引くのは、るみ子氏曰く、「田中圭一も真っ青な卑猥なイラスト」という、エロティックなカットなのです。「さすがに公開自主規制。ギリギリ可愛いのだけ。」とTwitterで、それらのほんの一部の写真が投稿されたのですが、いくつかのカットは「獣っ娘」ということで、更に話題となっているのです。手塚治虫ファンにとって手塚先生がどれだけ自由な発想でエロティックな表現を追求してきたかは誰もが知る所です。このTwitterで流された写真のカットは、手塚作品を読んだことがある人にとっては物凄く自然なことなのです。そして、「開かずの机」から出てきたということが、何か手塚治虫先生も人の子ということの裏返しのように思えて、また、いかにも手塚先生らしい人間臭いところが垣間見えるようなのです。
手塚治虫の創作の現場
今回開かずの机から出てきたものはどれも一級品の資料に違いなく、いづれの時にか、きっと公開される筈です。
しかし、死んだ後に、自分の机を開けられるのは、恥ずかしいものに違いありません。いくら亡くなっているとはいえ、生前本人が隠していたものが我が子とはいえ、机が開けられ、それがTwitterで公開されるというのは、あの世で、手塚先生は顔を赤らめているに違いありません。
それにしても、今回の開かずの机の御開帳で、よく解かることは手塚先生にしてさえ、きちんと構想を練りながら素晴らしい作品の数々を世に送り出していたことがよく解かるということです。下調べなくして傑作は生まれなまいということです。手塚先生もいろいろと悩みながら漠然としていたものを次第に具体的な形にしてゆき、そして、作品へと昇華させているという点が見逃せません。
表現である以上、その中にエロティックなものと死は不可欠のものといってよく、「生」の不思議に思い悩んだことがある人は、今回の手塚先生の下書きなどの写真を見るにつけ、納得がゆくものに違いありません。「生」を語るには、「性」と「死」から逃れることは不可能に違いありません。「生」を掘り下げれば掘り下げる程「性」と「死」は真正面から向き合わなければならないものなのです。
今回の手塚治虫先生の開かずの机の御開帳で出てきた貴重な原画の数々などは、「巨匠」と呼ばれ、今もなお、尊敬を集めている手塚治虫先生の創作の現場に立ち会えたかのような錯覚に陥るというとても感慨深いものなのでした。
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